PDCAの誤解2(時間がかかる?)

「PDCAは時間がかかる・変化に対応できない」という批判サイトをよく目にしますが、これについて反論したいと思います。と言っても、「時間はかからない・変化に対応できる」と言うことではありません。「PDCAに対する考え方を変えよう」という主張です。

 PDCAは改善を進めるための管理手法として紹介され、現在も品質改善や業務改善のための “改善サイクル” として日本に定着しています。しかし私は、PDCAは改善だけでなく、ありとあらゆる活動における基本行動だと考えています。人は何かを行うとき、なりたい姿をイメージして、それに至る段取りを決めて実行し、上手くいかなかったときは「次は上手くやろう」と思います。この『段取りを考えて行動し、結果を反省して次に生かす』ことは、多かれ少なかれ(時には無意識に)皆やっていることだと思います。デミング博士は、改善活動をより強力に進めるために、これらの個々の行為を《PDAC》として明確にして、「無計画に実行するな! 実行したら確認しろ! 結果を次に生かせ! そして目的を果たせ!」と教えているのだと思います。

 学生は、レポート作成を段取り(P)、作成し(D)、提出して(C)、指摘を修正します(A)。
 社会人は、スケジュールを決め(P)、作業し(D)、上司に報告して(C)、指摘を修正して次の業務に生かします(A)。これらは間違いなくPDCAです。こう考えると、私はPDCAを《単独のサイクル》ではなく《複数のサイクルの複合体》と考えるべきだと考えています。

 例えば、会社での[指示→報告→指示…]のサイクルを考えてみましょう。ある会社に[その日の予定→日報][週次の予定→週報][月次の予定→月報・幹部会議][年度計画→年度報告・決算]の小・中・大・特大の4つのサイクルがあるとします。この時、担当者は日報をまとめる過程で1日の作業を反省します(担当レベルのPDCA)。チームリーダーは担当者からの日報を確認し、必要に応じて作業の変更を指示します(チームのPDCA)。と同時に、日報を集約したチームの週報を作成して課長に提出します。課長は週報を確認して必要な指示を出し(課レベルのPDCA)、週報を集約した月報を幹部会議に提出します。(以下省略) つまり下層のサイクルの結果を集約したものが上位層のサイクルの入力情報となるのです。この時、報告のタイミングや集約内容に問題があると組織の運営に支障をきたします。これが、会社における《複数のサイクルの複合体》です。これはマネジメントサイクルなのでPDCAサイクルとは言わないかも知れません。しかし、構造は紛れもなくPDCAです。

 大小様々なPDCAサイクルをどう組み合わせるかを考えて、サイクル間のインターフェース(集約のタイミングや報告の内容)を決め、場合によってはサイクルを飛び越えるエスカレーションルールを定め、全体として最適なサイクル(変化に素早く対応できるサイクル)を作ることが重要なのです。ですので、「PDCAは時間がかかる・変化に対応できない」や「報告がきちんと上がってこない」というのは、PDCAの複合構造がしっかりと出来ていないからだと私は考えています。
 大きくて挫けてしまいそうな目標は、実現できそうな小さな目標に分解して計画(P)を立てる。きめ細かい確認が必要なら(C)(A)のサイクルを短くする。こうして、PDCAをブレイクダウン&ビルドアップしていって《最適化されたサイクル》を作ることがPDCAの神髄だと思っています。

 PDCAを単独サイクルだと考えて [Plan] [Do] [Check] [Act] というワードに固執すると、「時間がかかる・変化に対応できない」という問題が生じます。「サイクルの複合体を最適化する」と考えることで、改善や管理が効率的・効果的に回るようになります。

PDCAサイクルの複合体イメージ<例>

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