技術が進歩して、いろいろなことが便利になってきています。
「時間をかけずに…」「より早く…」「より簡単に…」「手間いらず…」..
そんな売り言葉がCMや広告に溢れています。
少しひねくれている私は、そういう言葉を聞くと少々うさん臭く感じてしまいます。
「本当に効果があるの?」 … 印象操作に引っ掛からないぞ!
「そのデメリットは?」 … 便利の代わりに何を犠牲にしているのか
多くの場合、良いこと(メリット)の裏には悪いこと(デメリット)があります。
例えば、安売り品の裏には、粗悪・傷あり・売れ残りなどと言った事情があります。安価というメリットと、訳アリというデメリットです。昔の人はよく「安物買いの銭失い」と言いました。「安物(質の悪い物)を買うと、結局損をする」という意味です。安物を何度も買い直すより、良い物を長く使う方が “得” ということですね。安い物を買うな!というわけではありません。長期的に見て “得” か “損” か考えることが大切だということです。
同じ様に、《便利》というメリットの裏には、何かしらのデメリットがあるかも知れません。高めの値段もデメリットの一つですが、価格以外にもデメリットがあります。
前回の記事『それ、どうやって捨てるか知ってますか?』では、《便利》の裏にある《捨てるのが大変》というデメリットを紹介しました。
もうひとつ、これは私の実感ですが、便利な物は便利な機能(多くはメカ的な部分)から壊れます。例えば、”開閉フタ付き” はまずフタの留め具が壊れます。”ファスナー付き” はファスナー、”首振りxx” は可動部分、”取り外し可能” は接続部分から壊れます。そして、それらの壊れ方は製品として致命的なものがほとんどです。物理的に便利な物は特殊な機構を備えており、そういう部分は力が集中するので当然壊れやすくなっています。つまり、《便利》というメリットの裏に、《壊れやすい》というデメリットがあるのです。
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《便利》なものは、多くの利用者が「便利だ」と感じることを想定していますが、中には逆に「前よりも不便になった」と感じている人もいます。例えば、ファストフードやファミレスで主流になっているタブレット注文や、今やコンビニやスーパーマーケットでも導入が進んでいるセルフレジです。これらは、若い人やIT機器に慣れている人には便利なのでしょうが、シルバー世代やデジタル難民にとっては、とても不便なものです。
私はIT業界にいたのでIT機器にはそれなりに慣れているつもりですが、シルバー世代になっているためかタブレット注文とセルフレジは苦手です。それとスマホの操作が苦手です。
タブレット注文とスマホの操作が苦手な理由は、それらの機器が私の意図通りに動いてくれないからです。つまり、私の思考回路からは予想できない動きをする(私はそう感じている)のです。
それらが、私の予想できない動きをする原因は、おそらく “直感的UI” にあると考えています。
直感的UIとは、操作方法が分からない人でも迷わずに操作できるUI(ユーザーインターフェース:画面構成、ボタン配置、画面推移など)のことで、コンピューターに慣れていない人でも使えるよう研究されたものです。スマホが普及して一機に広がりました。iPhoneの操作性は直感的UIの代表です。
直感的UIは、一般的な人、特に “直感的に動く人” にとってはとても便利なのだろうと思います。しかし、”システム的に考えて動く人” にとっては、とても違和感があり戸惑います。それは、アプリやソフトの “利用者に対する忖度(※)” と、“忖度するための機能的な制限” が主な理由だと考えています。
システム的に考える人は、機器やシステムの構造を理解しながら「こうなっているから、こうすれば、こうなる」とイメージしながら操作します。しかし、直感的UIを採用しているアプリは、利用者の動きを先読みして動きます。「こういう操作をする人は、次にこうするから、予めこうしておく」という動きをするのです。これは、システム的に考える人にとっては「余計なお世話!」です。具体的には、必要がない場面で変換候補を出したり、行・列や式を追加したり、指示していないのに勝手に意図しない場所にデータを保存したりして、イライラすることがよくあります。
仕事ではある程度予想ができますが、日常生活では全く予想できない動きにどうにもならなくなることが時々あります。昔、機械による注文をあきらめて店を出たこともあります。(今はかなり慣れてきましたが.. )
私のような思考回路の人間は、世の中全体からすれば少数派なのかも知れません。今さらシステム的に考えることは止められないので、直感的UIが主流のデジタル社会を生き抜くために、直感的な動きをシステム的に考えられるようになりたいと思っています。
※ “忖度(そんたく)” とは、他の人の気持ちや感情を考えることです。つまり、”心づかい” や “思いやり” が本来の意味です。しかし、2017年の森友学園の事件で「上の人間に媚びる」というような使われ方をされてから誤解されるようになりました。本来は日本人の優しさを表す言葉ですが、忖度も度が過ぎれば「媚びている」とか「余計なお世話」と思われます。
また、セルフレジで困ることは、店によって機械の形や動きが異なることです。バーコード読み取り機の位置や、紙幣の挿入口、釣銭の出口、さらにはプリペイドカードやクレジットカードの挿入方法やタイミングまで、本当に様々です。初見の店でアタフタすることが多々あります。
慣れていない機械でも、脳力が高い人(頭の回転が速くて注意力がある人)は直ぐに目的のボタンや装置を見つけられるのでしょうが、脳力が衰えた人はそうはいきません。銀行のATMは今ではかなり統一化されていますが、セルフレジも早くそうなって欲しいものです。
ところで、先日久しぶりに某定食チェーン店に行ってきました。数年前に買収騒動があり、効率化を重視する勢力が経営を奪取した結果、タブレット注文/ロボットによる提供/セルフ会計が導入されました。私はその人間味が薄くなった雰囲気が嫌でしばらく利用していなかったのですが、先日久しぶりに行って驚きました。ロボット提供とセルフ会計が廃止されていたのです。《便利》よりも重要なことが再認識されたのではないかと思います。あるいは、それらはサービス提供側にとって便利なだけで、利用者には受け入れられなかったのかも知れません。
それにしても、あの買収騒動は何だったのだろう?
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以上、便利の裏にある落とし穴について述べました。
これらは、あくまでも個人的な感覚であり、若い方からは老害だと思われるかも知れませんね。
しかし、老婆心ながら敢えて言います。
・便利な物にむやみに飛びつかずに、将来的・総合的に買うメリットがあるのかよく考えましょう。
・製品やサービスを提供する立場の人は、「便利だろう」とか「便利だからみんな買うだろう」と勝手に思い込まずに、いろいろな人がいることを認識して、どういう人にどうアピールするのかよく考えましょう。
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