仏教と品質の共通点|諸行無常・因縁

 仏教の教えには品質の世界と重なることが幾つかあります。以前述べた《法と律》もその一つで、これは「変わらないものと変えるもの」という意味です。詳しくは、以前の記事【 “法” と “律” 】をご覧ください。

 今回は、《諸行無常》という言葉について考えます。”諸行無常” は、平家物語の冒頭の「祇園精舎に鐘の声、諸行無常の響きあり~」で聞いたことがあるかも知れませんが、意味を知らない人も多いのではないでしょうか。諸行無常の “諸行” とは「すべての物や出来事」、”無常” とは「いつも同じではない」という意味です。つまり、”諸行無常” とは「すべてのことは変化する」という意味です。これは、品質の世界においても常に意識しておかなければならない重要な視点です。
 この “変化” には、「時間による変化」と「見方の違いによる変化」の2つがあります。

時間による変化
 品質管理における計測値は、計測した時点での値であり既に変化している可能性があることは心に留めておくことが必要です。そして、変化に適切に対応するために、どれくらいの間隔で再計測する必要があるのかよく考える必要があります。
 また、計測データを見てそれが意味することを解釈する際には、値の大きさを見るだけでなく時間による推移を見ることも重要です。データを見る時は、①大きさとバランスを見る ②偏りを見る ③推移を見る ④個々を見る ⑤因果関係を推測して仮説を立てて検証する ことを心掛けましょう。

見方の違いによる変化
 著書「エンジニアを目指す人のための品質コラム」において、次のように書きました。

第六六回 見方を変える
 この世界のあらゆることはつながっています。一見違うことでも見方を変えると、細かさ、空間、時間、因果などで皆つながっているのです。例えば、自分のことを考えてください。
《今どこにいますか?》 自宅、〇〇町、△△県、日本、アジア、地球、太陽系、銀河……
《体は何でできていますか?》 頭と胴と手足、骨と肉と皮、細胞、分子、原子、素粒子……
 どれも正しいですね。
 他の例も挙げます。水は、気体(水蒸気)、液体(雨)、固体(氷、雪)で存在しますが、みな酸素と水素でできています。雨は生物にとって必要なものですが、時に災害をもたらします。文明は大河の近くで誕生したと言われています。さらに、生命の起源である水の痕跡を求めて宇宙探査が行われています。つまり、分子工学も生物学も社会学も考古学も天文学も皆つながっているのです。学問とは、それらを部分的に切り取っているものなのです。

 逆に言うと、同じに見えることでも見方を変えると違う解釈ができるということです。例えば、「正義」という言葉がありますが、”正義” と聞くと絶対的で不変なもののように感じるかも知れませんが、実は人や国の数だけ違う “正義” があります。だから喧嘩や戦争が起きるのです。
 データからその意味を解釈する際には、一つの見方にとらわれないように気をつけましょう。様々な視点から考え、時にはいろいろな人と意見を交わすことも必要です。


 さらに、見方の一つである「因果」に関することについて補足します。

 仏教に関する言葉に《因縁》というものがあります。これも、品質の世界に関わりが深い言葉です。《因縁》とは原因のことです。つまり、「すべてのことには原因がある」という教えです。ちなみに、”因” は直積的な原因、”縁” は外部条件のことらしいです。

 原因を考えることは品質の世界でも極めて重要なことです。品質の世界において “原因” を考える際には、「時間的な関係」と「空間的な関係」の2つを考える必要があります。

時間的関係
 これは、時間的というよりも次元的な関係と言った方がよいかも知れません。
 原因と結果はチェーン構造を成しています。つまり、原因から結果が生じ、その結果が原因となって新たな次元の結果が生じます。原因分析ではよく「真因(真の原因)」が問われますが、それには「なぜ、なぜ、なぜ..」を繰り返すことが必要です。原因と結果のチェーン構造を遡って大本の原因を突きとめるのです。つまり、時間的関係とは〈深度・奥深さ〉のことです。

空間的関係
 世の中は、とても多くのことが複雑に絡み合っています。例えば経営の世界では、技術・材料・設備・従業員・市場など非常にたくさんの要素を総合的に分析して判断しなければなりません。これは、先ほどの「見方を変える」と関連しています。つまり、空間的関係とは〈相互作用・複雑さ〉のことです。

(私の勝手な解釈ですが、)時間的関係が仏教でいう《因縁》の “因” 、空間的関係が “縁” だと思っています。

 こうしてみると、ブッダの教えが非常に論理的で且つ合理的なものであるように感じられます。仏教は、本来、非現実的で神秘的なものではなく、現実的で科学的なものなのかも知れません。私は、仏教を宗教としてではなく、哲学としてとても興味を持っています。

「第二十五回 原因と対策」補足ページ
「第六十六回 見方を変える」補足ページ

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