感謝か謝罪か

前回の記事『させていただきます症候群』の中で《感謝》と《謝罪》について少し触れました。実は私は、今の多くの日本人の《感謝》と《謝罪》の行動について少なからず懸念を感じています。今回は、その幾つかを紹介したいと思います。品質に無関係と思われるかも知れませんが、人として、またビジネスにおいても大切なことだと思っています。皆さんも考えてみてください。

《感謝》と《謝罪》のイメージは人それぞれでしょうが、私は次のように考えています。
【感謝】相手のおかげで良いことがあった時に、恩を感じて・報いる意思があることを伝えること。一言でいうと「ありがとう」と言うことです。
【謝罪】自分のせいで相手に迷惑をかけた時に、責任を認めて・償う意思があることを伝えること。一言でいうと「ごめんなさい」と言うことです。

この頃、多くの場面においてその区別が曖昧になっているように感じます。また、感謝や謝罪の考え方や伝え方がおかしくなっているようにも感じます。ずべての人がそういうわけではありませんが、おかしい人が多くなってきているように感じるのです。
以下、その具体例を挙げます。

1.感謝か?謝罪か? 曖昧な言葉「すみません」

例えば、買い物をしていて小銭を床に落としてしまった時、拾ってくれた見知らぬ人に向かって何と言っていますか?
多くの人が咄嗟に「すみません」と言っているのではないでしょうか?
私は、落とし物を拾ってあげた時に「すみません」と言われると、「自分は今、何か謝られるようなことをされたのかな?」と思ってしまい、相手に謝罪させたことを申し訳なく感じることがあります。逆に「ありがとうございました」と言われると、「どういたしまして。今度私が落とした時は拾ってくださいね」と心の中で思います。(これが “困ったときはお互い様” の精神)

おそらく、咄嗟に「すみません」と言う人は、「相手に余計な手間を取らせてしまった。申し訳ない」という意識が働いて思わず謝罪の言葉が出てしまうのだろうと思います。しかし、拾ってくれた人は「手間を取らせやがって..」と怒っているのではなく、「困っているようだから助けてあげよう」と思ってやっているはずです。ですので、こういう時は「すみません」という謝罪ではなく、「ありがとう」と感謝を伝えるべきだと思います。

最近は、感謝する場面で謝罪の言葉を口にする人が多くなってきている気がします。その背景には次のような社会現象があると考えています。
自己肯定感の低下 … 自分に自信が持てない人が増加
責任回避の意識  … 「お前のせいで..」と責められる前に先に謝っておく
人間関係が希薄  … 喜びを共有したり共感した経験の減少
未知に対する恐怖 … 「人は潜在的に攻撃的」という意識。例えば、SNSでの炎上・誹謗中傷、ハラスメント

2.意味不明な言葉「大丈夫です」

例えば、「コーヒーのお替りはいかがですか?」と聞かれて断る時、何と言っていますか?
最近は、多くの人が「大丈夫です」と答えていると思います。とても不思議です。
「大丈夫」は心配している人を安心させるための言葉です。お替りを勧めてくれている人は心配しているのではなく軽い善意で言っているのですから、「もう十分です。ありがとう」と断るのが普通です。

おそらく、咄嗟に「大丈夫です」と言う人は次のような心理が働いているのだと思います。
・「要りません」や「結構です」とハッキリ言うと失礼に聞こえるかも
・コーヒーが少なくて怒っていると思われているのかも
・「困っていない。心配は無用」をソフトに伝えたい
・他の人が「大丈夫です」と言っているから私も使わなければ..

もしかすると、英語の “I’m good.” の直訳からきているのかも知れません。私が海外旅行をするようになった頃は “No, Thank you” が定番でしたが、その表現はネイティブスピーカーには少し冷たく聞こえ、場合によっては強く否定されたように感じるので、普通に断る時は “I’m good, thanks.” が一般的だそうです。ちなみに、”good”は「良い」ではなく「満足している状態」の意味。だから “I’m good” は「私は満足している = もう十分」という意味です。「大丈夫です」が多用されるようになったのは、海外旅行が一般的になったことが一因かも知れません。あるいは、外資系のカフェがレストランが進出してきて接客マニュアルの直訳が浸透したか..

日本語で伝えるなら「お心遣いありがとうございます。もう十分にいただきました」という気持ちを伝える言い方にするべきではないでしょうか? 「お困りですか?」と聞かれたときに「大丈夫です」と答えるのはよいですが、そうでない時に「大丈夫です」はおかしいと私は思います。

3.感謝することを否定する人

「学校給食で “いただきます・ごちそうさま” を言わせるな」という保護者クレームがあった、という都市伝説があるようです。「給食費を払っているのだから給食を出すのは当たり前。感謝する必要はない」という理由だそうです。もしこのような保護者が本当にいるとしたら、”命をいただく”、”食事を作って(栄養を考えて、食材を調達して、調理して)いただく”、という感謝の心を否定する困った保護者です。子供に感謝の心を育む最も重要な場が家庭です。このような保護者の元で成長した子供の将来が心配です。

これは都市伝説ですが、似たようなことは現実に起きています。
例えば、サッカーワールドカップで日本人サポーターの行動に対する反応です。日本人サポーターは試合が終わったあと客席に散らかったゴミを片付けてから会場を後にするということで、世界的にかなり話題になりました。この行動は「素晴らしい試合の場を提供してくれてありがとう」という感謝の気持ちを込めた善意だと思っています。これを見た海外の人の反応は概ね好意的ですが、中には「清掃を仕事にしている人たちの場を奪っている」という否定的な意見もあるようです。つまり、感謝と善意の行動を否定する人もいるのです。皆さんはどう思いますか?

これらは、都市伝説や海外だけの出来事ではありません。日本の日常生活でも起こりえます。例えば、
・外で食事をしたとき「ごちそうさまでした」と言っていますか? 口に出さなくてもその気持ちを持っていますか? 「金を払っているのだから食べられるのは当たり前。感謝する必要はない」と思っていませんか?
・勤め先のビル内のフロアやトイレを清掃している人に「いつもありがとうございます」と言っていますか? 「金を払っているのだから掃除するのは当たり前。感謝する必要はない」と思っていませんか?
このように、”感謝することを否定する人” は、モンスター・カスタマーあるいはその予備軍です。それはやがて、 [お客様至上主義 → 提供者軽視 → 店員蔑視 → 職業差別] に至る可能性が大きいと思っています。

4.すべての会話が謝罪から始まる人否定から始まる人

これは、上記の1.がさらにひどくなった状態です。自己肯定感皆無です。良く言えば「気遣いの塊」ですが、むしろ「自己否定の塊」「不安の塊」です。実際に身近にいます。
「おみやげ持ってきたから食べて」「ごめんね..」
「今日も暑いね」「ごめんね..」
何を言っても「ごめんね」で返されるので少々うんざりしています。

逆に、すべての会話が否定の言葉から始まる人もいます。
「天気予報で午後から雨が降ると言っていたよ」「どうせ大した量は降らないだろう」
「このケーキ、すごくおいしいね」「甘過ぎて飽きる」
過去記事『俺は木綿のハンカチーフが大嫌い』で、投げかけられた好意に対して全て「いいえ」を返す人について書きました。「ありがとうのひとことがなぜ言えない !!」という話題です。この話題は “投げかけられた好意” に対する反応でしたが、すべての会話が否定の言葉から始まる人も実際にいます。こちらもうんざりします。

日常会話のほとんどはコミュニケーションを取ることを意図して始まります。何気ない話題を通して、互いの状況や心の内を知り共感し合うことで、より良い関係を作りたいと思って話しかけるのです。ところが、こちらからの投げかけに対して謝罪や否定の言葉しか返ってこなければ、そこに共感は生まれません。気持ちが通いません。人間関係を築けません。

会話は、片方が一方的に話すことではありません。お互いに言葉を交わすことです。
よく「会話では傾聴が大切」と言われます。”こちらの意見を一方的に話すのではなく、相手が言うことをよく聞いて理解したうえで自分の意見を話すこと” はとても大切です。ですが、それと同時に、“自分が話したこと(発した言葉)が、相手にどのように受け止められているか” を考えながら話すこともとても大切なことだと思っています。


以上、《感謝》と《謝罪》について私が日頃気になっていることでした。小うるさい年寄だと思うかもしれませんが、気持ちをきちんと言葉で伝えることは大切なことだと思っています。

《感謝》と《謝罪》も、その根本的な意図はこちらの気持ちを伝えることです。日本は “曖昧の文化” と言われることがありますが、《感謝》と《謝罪》の言葉を曖昧に使っていては気持ちが伝わりません。《感謝》と《謝罪》は起きたことに対する反応ですが、それだけでなく、その後の関係を円滑にするための潤滑油でもあります。《感謝》と《謝罪》の言葉を明確に使い分けてきちんと伝えるようにしましょう。

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