これまで幾つかの記事おいてリスクについて触れてきましたが、「リスク」や「リスク管理」について詳しく述べていませんでした。そこで今回は、改めてリスクについて書きたいと思います。
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最初に “リスク” についておさらいします。一部、拙著『エンジニアを目指す人のための品質コラム』からの抜粋です。
リスクとは? リスク管理とは?
まだ起こっていないが起きるかも知れないことを「リスク」と言います。リスクを測ることを「リスク計測」、リスクに備えることを「リスク対応」と言い、リスクの変化を捉えて適切な対応を取ることを「リスク管理」と言います。起きたことに対する行動はリスク管理ではなく、問題解決や是正処置(※) の範疇です。 ※:記事『修正、再発防止、点検、予防、未然防止』参照
日常会話で「リスク」と聞くと《危険・悪い事》などマイナスのイメージがありますが、品質やビジネスの世界においては “プラスに働くリスク” も考える必要があります。
例えば、需要が急増したのに(受注がプラスになったのに)、生産が間に合わなかった(プラスのリスクに備えていなかった)ために、儲け損なうことがあります。これを”機会損失” といいます。商売やモノ作りにおいて、機会損失(足りないリスク)と過剰在庫(余るリスク)は相反する問題であり経営判断において重要な視点です。
品質の世界でも同様なことであります。品質や生産性が予想以上に良い場合、それによって生じた余力を他の開発や勉強や改善活動などに投入すればさらに飛躍することができますが、単に「良かった、良かった」と喜んでいるだけでは機会損失に陥ります。悪いことも良いことも含めて、将来どんなことが起り得るかを考えて、それに備えることが大切です。
リスク計測の考え方
限られた時間や費用の中でリスクを管理するためには、優先順位を決める必要があります。頻繁に起きて影響が大きいリスクが最優先なのは分かりますね。滅多に起きなくて、起きても影響が小さいリスクは放置してもいいでしょう。それでは、頻繁に起きるが起きても影響が小さいリスクと、それほど起きないが起きると影響が大きいリスクでは、どちらの対応を優先すべきでしょうか? それを判断するためには “リスクの大きさ” を測る必要があります。
リスクの大きさ(リスク値)は[発生する確率 × 発生した時の影響の大きさ]で求めることが出来ます。つまり、確率学でいう《期待値》です。例えば、
リスクA : 発生確率は80%、影響は100万円の損失 → リスク値 = 80万円
リスクB : 発生確率は20%、影響は300万円の損失 → リスク値 = 60万円
この場合、リスク値が大きいリスクAを優先的に対応することになります。
リスク対応の考え方
リスクの対応策には、大きく次の4つがあります。
①回避:発生する確率を下げる
滅多に起きないようにすること。理想はゼロにする(起こさせない)
②低減:発生した際の影響を小さくする
起きることを前提として、その影響をできる限り小さくすること
③移転:影響の性質を変える
影響の対象、方向、密度などを変えること
④保有:何もしない
危険を承知で敢えて何もしないこと
一つのリスクに対する対応策は一つだけということはありません。上述の対策を組み合わせて対応するのが一般的です。
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以上、リスクについての基本的な説明でした。少々長くなりましたが、ここからが本記事の本題です。
先ほど「リスクの大きさ(リスク値)は[発生する確率 × 発生した時の影響の大きさ]で求める」と述べましたが、これを読んだ方の中には、「数値で判断しているから客観的だ」と感じた方もいるのではないでしょうか? 私も、大昔この考え方を知った時には、リスク管理(リスク計測)は客観的な考え方であると感じました。しかし、本当に客観的でしょうか?
客観的と主観的の違いは下記です。
客観的:誰でもそう感じる状態 例:今日は最高気温が30度を超えた
主観的:自分が感じている状態 例:今日は暑くて不快だ
これは私の考え(主観的)ですが、誰が見てもそう(客観的)だと思います。
それでは、先ほどの「リスク値が大きいリスクAを優先的に対応する」は客観的であると言えるでしょうか? リスク計測の考え方を用いたリスク管理は、本当に客観的と言えるでしょうか?
実はここに、リスク管理を行う上での重大な落とし穴があります。
先ほどの例で挙げたリスクA・Bの値(発生確率と影響)は、あくまでも仮定です。この値が正しければ、リスク計測の結果は正しいと言えます。しかし、現実には、発生確率と起きた時の影響は明確にならないことがほとんどです。理論や経験などによって “もっともらしい値” を得ることは出来ても、必ず当事者の主観は入ります。リスクとは “まだ起きていないこと” です。起きてみなければ本当のことは分かりません。だから主観が入るのです。つまり、リスク管理の前提がブレます。発生確率も影響もブレます。ブレているもの同士を掛け合わせると、より一層ブレますね。ですので、リスク計測は実際とはかなりブレているものなのです。それをよく理解した上で、リスク管理に臨む必要があります。
リスクは主観の塊です。ですが、だからと言って何もしなければ(判断根拠がなければ)前に進めません。ですので、前に進むために少しでも客観的に判断できるように考え出されたものがリスク値(発生確率×影響)なのです。リスク値とは、リスク(起きるかも知れない脅威と機会)を目の前にしたときに、前に進むための方便(足を止めないための知的方便)であると言えます。かなり大胆な考えですが、私はそう捉えています。だからこそ、発生確率や影響を考えるときに主観的にならないように気をつけるのです。
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リスク管理を行う上での落とし穴をもう一つ挙げます。
リスク値で優先順位を判断する際は、双方のリスクの性質が一致している必要があります。2つのリスク値が示されていても、それが異なる性質のリスクを表現したものであれば比較できないのです。その場合、ほとんどの議論が発散または堂々巡りに陥って収束しません。
例えば、原子力発電所の是非について考えてみましょう。原発論争は、
「原発を持たないことによるリスク」vs.「原発を持つことによるリスク」
の議論です。この不等号の向きが逆なのです。つまり、
原発推進派:「原発を持たないことによるリスク」>「原発を持つことによるリスク」
原発反対派:「原発を持たないことによるリスク」<「原発を持つことによるリスク」
これをリスク値によって評価することもできますが、発生確率と影響は人によってかなりブレがあることが予想されます。しかし、それ以前に、リスクの性質の違いが問題を大きくしています。それは、
原発を持たないリスク:【じわじわと衰弱死するリスク】
火力発電に依存→CO2排出(気候変動)、調達問題(海外依存、財政圧迫)
今のままでは、いつか必ず首が回らなくなる
原発を持つリスク:【急死するリスク】
いつ起こるかわからないが、起きたら一撃で終わり
実際に、過去にスリーマイル島(1979)、チェルノブイリ(1986)、福島第一原発(2011)で起きている
つまり、日本の原発論争は、
【じわじわと衰弱死するリスク】vs.【急死するリスク】
なのです。
推進派の主張は、「最新技術で急死の確率を極限まで下げるから、確実にやってくる衰弱死のリスクを回避しよう」というものです。
一方、反対派の主張は、「確率が低くても、一度の事故(急死)で取り返しがつかなくなる以上、その選択は許容できない」というものです。
つまり、〈急死を覚悟してでも目の前の安定を手に入れる〉のか〈必ず訪れる衰弱死を受け入れて急死を回避する〉のかの選択です 。これは、リスク値によってどちらが正しいかを判断できるものではありません。まったく性格が異なるもの同士の比較であり、それは “好みの問題“(※)です。もっと言えば “生き方の問題” です。 ※:記事『好みの違い、自分の流儀』参照
このように、リスクの論争だと思っていることが実は “生き方の論争” であることがあります。生き方の論争では、リスク管理の考え方や手法は通用しません。そのことをよく認識しておいてください。
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以上、リスクの解説と、リスク管理を行う際に気をつけなければならないことでした。
リスクはどうしても主観にならざるを得ないものであることを認識した上で、少しでも客観的に管理するためによく注意して取り組みましょう。
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