サッカーワールドカップ2026が盛り上がっています。
私はサッカーにあまり詳しくなく、昔はボールを持っている選手の動きばかりを目で追っていましたが、最近はボールを持っていない選手の動きも見えるようになり、例年以上に楽しんでいます。特に、試合後の解説番組で、スローやリプレイや一時停止を駆使した解説がとても分かりやすく見入ってしまいます。
一次リーグの日本の最終戦(対スウェーデン戦)で、レフェリーの不可解な判定が物議を醸しています。
日本人サポーターの多くは、「ファールの判定が日本にだけ厳しかった」「日本が先制した直後に中村選手をピッチの外に出してソックスを履き替えさせた。試合前のチェックでは問題なかったのになぜ? 勢いづく日本の気勢を削ぐためとしか思えない。」と憤慨していることと思います。
一方、スウェーデン側は「日本がファールしているのになぜ笛を吹かない!」と不満を感じていたようです。立場が変われば見方も変わるのが世の常です。双方とも、フェリーの裁定をそれぞれの立場(正反対の意味)で「自分たちに不利な判定で不公平だ。判定基準が曖昧」と感じていたのです。
レフェリーは、このような正反対の感情を受けながら試合がスムーズに進むようにコントロールしています。大変な仕事です。
スポーツの世界の “審判” には《進行》と《判定》の2つの役割があります。例えば、
ボクシングでは、レフェリーが試合を仕切り、僅差の場合は3人のジャッジが優劣を判定します。
相撲では、行司が取組みを仕切って勝者に軍配を上げますが、その判定に疑問があれば勝負審判が “物言い” をつけて、5人の審判の協議で最終決定します。行司がレフェリーで勝負審判がジャッジです。
サッカーと野球は、レフェリーや審判が《進行》と《判定》の両方の役割を担っていますが、その権限は少し違います。その違いがよく分かるものがビデオ判定の扱いです。ビデオ判定は、判定が難しい時に録画映像によって白黒つけるためのものですが、サッカーではあくまでも “アシスタント” の位置づけであり、最終決定権は主審にあります。伝統的にサッカーやラグビーなどのフットボールではレフェリーは絶対であり、たとえ納得できない判定であってもそれを受け入れることが美徳とされてきました。
一方、野球やバレーボールは映像が絶対であり、主審はビデオ判定に従わなければなりません。競技によって異なるのは、生まれた背景や歴史が影響しているようです。面白いですね。
《判定》とは白黒つけることですが、境界線上のプレーでいちいち白黒つけていられません。厳密にジャッジしていたら試合が寸断されてつまらなくなるからです。したがって、審判には境界線上のプレーについて判断できる《裁量》が与えられています。それによって試合をスムーズに進めることができます。つまり、審判の《進行》と《判定》の中には《裁量》が含まれているのです。
審判の裁量(笛を吹いてプレイを切るか否か)は、次の3つによって決まります。
①試合のテンポや温度に応える
②フェアプレイ精神に照らす
③アドバンテージ(どちら側が有利か)
もちろん、裁量は “公平” であり “一貫” していなければなりません。
《判定》に似た言葉に《判決》という言葉があります。裁判の世界です。ここにも《進行》と《判定》の2つの役割があります。すなわち、裁判長が裁判の進行を仕切り、裁判官の合議で判決を決定します。判決は法律が基準ですが、実際の判決には《裁量》が存在します。例えば、情状酌量です。罪を犯した事情を汲んで刑を軽減することです。逆に被害者遺族の意見陳述によって厳しい判決を促すこともあります。また、裁判では判例(過去の判決)が刑の重さを決める重要な要素ですが、これも判断が難しい場合の《裁量》の一部だと考えられます。
品質の世界にも《進行》と《判定》があります。その代表がQMSの審査です。つまり、ISO9001の審査や内部品質監査です。
QMSの審査では審査員が審査の進行を仕切ります。最低限確認しなければならない項目は決まっていますが、どの程度細かく確認するかは審査員の裁量です。怪しい取り組みに時間をかけ、問題なさそうな項目はサラッと流す、というのが一般的です。審査や内部監査の目的は問題の有無を確認することではなく “改善を促す” ことだからです。すべての項目を均一に確認するよりも、危険が隠れていそうなところや会社にとって重要なことを重点的に確認する方が改善につながります。
同じ理由で、拙著『ソフトウェアの品質管理 – 専門家が教えない大切なこと – 』では、内部品質監査において指摘は重要なものを3つに絞ることを勧めています。それ以上指摘しても現場が改善できないからです。
ISO9001の審査を目前にした時、「指摘されたら困る。隠して何とがごまかそう」と考えている人は、考え方を変えましょう。
「審査員は、自分たちが気づかなかった問題を指摘してくれる改善の協力者でありコンサルタント」と考える方が自分たちのためになるし、その方が気が楽です。
難しいのは『出荷判定』です。”判定” なので “進行” や “裁量” とは無縁だと思われるかも知れませんが、私は出荷判定にも裁量があると考えています。以下、持論です。
私が考える「出荷判定における裁量」とは次の2つです。
(1) 基準上は問題ないが、「何か変だ!」と感じて設備や出荷を止めること
(2) 基準上は不合格だが、顧客の要望と合意に基づいて引き渡すこと
(これは、特別採用としてISO9001でも認められています)
これらはいずれも顧客や従業員の利益や安全のための行動です。一方、会社の都合のための裁量は不祥事を生む温床です。裁量を根拠にして不適切なことをやることは決してあってはならないことです。
そういえば、先ほどの〈審査員の裁量〉も、審査員自身の利益のためではなく、被審査側の利益(改善)のためのものでしたね。つまり裁量とは、”それを行う自分自身の利益のための行動ではない” ことを前提として、「やり方を任されていること」だと考えます。
翻って、先ほどのワールドカップのレフェリーの行動はどうだったでしょうか? 自分自身の利益(名声や優越感など)のためではないと願います。
もう一つ重要なことを付け加えます。
出荷判定の根拠は “事実” であることが必須です。判定の根拠とは、計測結果や行動記録(議事録など)のことです。「たぶんこれくらい」というような曖昧さや、「これくらいなら変えてもいいだろう」といった変更は許されません。また、計測機器が正しいことを証明する “校正” の記録や、要員の力量を保証する “教育・訓練” の記録も大切です。さらに、それらの “記録” を保存しておくことも重要です。
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